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2・3月号(2009)
「日本の眼科」掲載エッセイ   ワイン入門者のひとりごと



大学に入ってからお酒を飲み始めているから、かれこれお酒との付き合いは30年以上になる。随分お金も使ってきた。楽しいことも多かったが二日酔いで無為に過ごしてきた時間も多かったように思う。思い返してみると、酔った感覚、酔った雰囲気を楽しんでいたが、お酒そのものを味わい楽しむということはなかったような気もする。
  数年前より、北大眼科の医局のワイン会に呼ばれ、小スポンサーとして若い先生方に混じって参加させてもらっている。
どこの医局にも、一人や二人、ワインについて詳しい人がいるもので、その人から蘊蓄を聞かされたり、驚くようなワインに出会う事で少しずつワインに興味を持ち始めた。ワイン好きには大抵のめり込むきっかけになる一本があるもので、私にとってのそれは、86年のムートンロートシルトだった。ベルナードセジョーヌ(Bernard Se(´)journe(´))による、黒の背景に月と白い顔が2つ半描かれたラベルである。数時間以上デカンタージュ(ワインをデカンタグラスに入れて空気にさらす)した後にこれを飲んだところ、今まで味わった事の無い、複雑な味わいで、「何?このワインは・・・」という印象と驚きがあった。今でもあの味わいを鮮明に覚えている。その後同じビンテージで同じものを2回飲んだが、最初の時の同じ感動は得られていない。ワインが変わったのか、私が変わったのか、確かにワインは変わるのである。


小スポンサーを続けていくうちに、お金を払って人の講釈を聞いているだけではおもしろくないと思い、1年半前より札幌のワイン学校に本格的に通うようになった。ステージTから始まり、ステージU、V、そしてワイン受験コースも受講した。一般には知られていないが、ワインにも受験がある。これは日本ソムリエ協会が主催するもので、ソムリエ、ワインアドバイザー、そしてワインエキスパートの3種類のカテゴリーがある。前2者はレストランなどでの勤務や経営に携わる実務経験が受験資格に必要であるから、私達眼科医は受験することはできない。ただ、ワインエキスパートという資格は実務経験は不要で、20歳以上であれば誰でも受験できるものなので、愛好家が趣味として受ける事ができる。このワインエキスパートは、イタリア、フランス、ドイツなどワインの先進国にはなく、日本独特のものだそうである。ワインエキスパートの試験は主にフランス、ドイツ、イタリアなどを中心にワインの種類、格付け、法律、製造方法、その土地柄、ワインに関係する歴史についての筆記試験がなされる。1次試験では選択式の問題が100題出され、2次試験では口頭試問と同時に4種類のお酒が出され、利き酒(テイスティング)力が試される。頭の中が整理されるし、文化的素養が増えるので、ワインの好きな知人には挑戦を勧めている。私も受験したが、結果はさておき、久しぶりに受験勉強よろしく語呂あわせでワインの格付けや葡萄の品種などを覚えて、脳の活性化に役立ったような気がするし、久しぶりにマークシートを鉛筆で塗りつぶしたことも懐かしかった。さて、普段のワイン学校での授業は、1時間の講義と1時間の試飲で構成され、4-6種類ほどのワインを毎回試飲する。私のクラスの生徒さんは10名位で、医療関係者も多い。授業の後は近くのワインバーへ一緒に飲みに行くというのがお決まりのパターンで、たった今授業で習ったことを酔って忘れてしまう事も多かった。ピノ、カベルネなどの言葉さえも知らなかった私だが、この1年半ずいぶんと勉強をさせてもらった。ピノとは、ピノ・ノワールという葡萄の品種で、ブルゴーニュで作られるワインの原料となるものであり、カベルネはカベルネソービニヨンというボルドー地方で作られるワインの主要品種であるが、このような基礎的なことから始まり、ワイン全般について勉強させてもらった。



結局この1年半ほどの間に100種類近くのワインを飲み、数十時間の講義を受けたのだが、一体何が残ったのだろうか?まずワイン好きの知り合いは増えた。それにフランス、イタリアの地理についての知識、ワインの基礎についての知識も増えた。ただそれらはすぐに忘れてしまいそうだ。しかし、これまでワインは「飲む」ものと思っていたが、それと同じかそれ以上に「香りを楽しむ」ものだという事は自信を持って言えるようになった。現に上級者に言わせるとワインの楽しみは50%が香りであるという。白い花の香り、イチゴの香り、火打ち石の香り、コショウの香り、バニラの香り等表現も色々である。
さらに個人的な感覚で言えば、香り、味に加えて、アルコールが全身に広がり、リラックスしたやや高揚した気分は最高で、人類が古代より逃れる事の出来ない世界に、誘われてしまうのである。
ワインは最高級のものから、テーブルワインまでいろいろあるが、その差が結局は何なのか、最高級ワインはそこまで高いお金を払って飲む価値があるのか、まだ確信が持てない状態ではある。ただ、上級ワイン愛好家が高価なワインに酔いしれている姿を見るとやはり確かな違いがあるのかなぁと思うこの頃である。